新型コロナウイルスの影響で多くの企業がテレワークを導入し、場所を問わない働き方が一気に身近なものになりました。
なかでも、人気リゾート地である軽井沢は、クリエイティビティを刺激し、リラックス効果が得られるとして、テレワーク拠点としてもますます注目を集めています。
自然豊かな環境は、仕事のみならず、教育においてもメリットが多いため、テレワークの実現や軽井沢に新しい学校が設立したことを機に移住を決意した人も増えているのだそう。
軽井沢移住によってQOL(生活の質)が上がったという、SBクリエイティブの坂口惣一さんに、軽井沢での仕事と子育てについて聞きました。
坂口さんは、2020年の3月末に軽井沢に移住されましたよね。いつ頃から移住を考え始めたのでしょうか。
4年前に第一子が生まれてから、少しずつ東京での生活に疑問を感じるようになりました。というのも、私も妻も出版社で働いていたので、業界柄、昼夜問わず働くのが当たり前になっていたんですね。子供が生まれてからも、妻は子供を寝かしつけた後、夜中の2~3時まで仕事をすることもあって、職場復帰して1年くらいが経ったときに体調を崩してしまったんです。
そのときに「この生活はサスティナブルではないな」と痛感しました。東京は子供が自由に遊ぶスペースも限られていますし、限界があります。家族の将来を思うと、心身ともに健康でいられる場所へ引っ越したほうがよさそうだと考えるようになりました。
移住先に軽井沢を選んだ理由は?
1番の決め手は、今年開校した風越学園への入園です。
移住前には鎌倉や逗子など、いくつかのエリアに実際に足を運びました。そんななか軽井沢は、毎年家族で訪れるくらい気に入っていた街なので候補地のひとつではあったのですが、さすがに東京までの通勤を考えると、現実的に難しい気がしていた。そんな時、風越学園という3歳から15歳までの一貫校ができると聞き、学校説明会に参加したんです。
説明会では「子どもが15歳になったとき、どういう子になっていてほしいか」をワークショップ形式で話し合いました。そこで、私たちは改めて、子どもへの願いを言葉にする機会がもてたのです。
夫婦で一致した願いは、「好きなことを自分で見つけられる子に育ってほしい」ということでした。受験や学力も大切かもしれませんが、プレッシャーのなかでまなぶよりも、もっと自分の「これが好き!」「やりたい!」のきもちを大切に、自由奔放に生きてほしい。この気づきをきっかけに、学校や地域への願いも明確になっていきました。「軽井沢は自然豊かで、理想とする教育環境がある。だったら思い切って移住しようよ」そんな話し合いを経て、移住することを決めました。
決め手となった軽井沢の教育環境は、実際に移住してみてどのように感じていますか。
毎日、自然のなかでたっぷりあそんでいて、子どもがうらやましいな、と思うくらいです。朝、履いていったピンク色の靴が、帰りには真っ黒になるほど思いっきりあそんでいます。
とはいえ、最初の頃は子どもも緊張していました。環境に慣れず、泣く日もありました。そんななかでも、スタッフのみなさんは、じっくり・あせらず見守ってくれました。そのおかげで「集いの輪」に入れなかった娘も、1ヶ月後には「幼稚園、たのしみ!」と目を輝かせて登園するようになりました。自然を介して、子ども同士が、ゆっくりと出会う、そのペースに任せてくれることに、環境のすばらしさを痛感しました。
お父様の目から見て、お子さんの変化を感じる部分はありますか。
自然でめいっぱいあそんでいる影響からか、どんどん野生児化していますね(笑)。でも実は、子どもよりも、親の変化のほうが大きいと感じているんです。
というのも、東京での子育ては、管理がいきすぎていたと感じることがあります。たとえば、子供が水たまりに飛び込もうもんなら「汚れるよ」「転んで怪我するから」と先回りして止めてしまいます。公園の遊具では、まわりの友だちに「迷惑をかけない」が最優先で、おもちゃをとらないか、順番をまもってるか、つねに口出しをしていました。
その点、軽井沢にいると、親もゆったりとしたきもちで見守ることができます。私たち保護者だけでなく、学校スタッフや、地域のコミュニティの方々が、子どもに対しておおらかなまなざしをもっているからかもしれません。移住初日、すれ違う近所の方みんなが挨拶の声をかけてくれたように、安心が醸成されている。それも、軽井沢の魅力の一つだと感じます。
羨ましい環境ですね。そこから得られる、数字では表せない教育は大きいですよね。
そう思います。まだ3歳ですが、少しずつ変化も現れてきました。これまで夜はオムツをつけて寝ていたのですが、ある日、突然「夜はオムツしない」と宣言しました。周りからの強制ではなく、自分から行動習慣を変えようと決めたのには、驚きました。小さいことですが大きな変化だと感じます。幼稚園から小学生までがまざってまなぶ異年齢クラスなので、お姉ちゃんの姿をみて、刺激を受けるところがあるのかもしれません。
それは嬉しい変化ですね。坂口さんご自身の変化はいかがでしょうか。軽井沢移住で実際に通勤されてみて、いかがですか。
5月末までは完全リモートワークでしたが、非常事態宣言の解除で6月から東京へ通勤する生活に戻りました。「新幹線通勤をしている」というと「たいへんだね」といわれることも多いのですが、実際やってみると、意外とメリットもあります。
新幹線での70分は、誰にも邪魔されない自分ひとりの時間です。パソコンも広げられるので、密室にこもった感覚で仕事をしたり、日々の気づきをブログを書いたりもできます。満員電車と違って、体力を消耗することもありません。
7~8月がハイシーズンですが、乗客数が多い東京発の便でも1本見送れば座れます。標高差による気圧の変化など身体への負担があるのは事実ですが、通勤時間を活用きる効果は大きいです。
いま注目を集めている軽井沢でのリモートワークはいかがでしたか。都内で働いていた時と比べ、変化があれば教えてください。
仕事の効率はとても上がりました。zoomなどのデジタル環境のおかげで、距離のデメリットはどんどんなくなっていて、著者の方と一度もお会いせずオンラインだけで本の取材が完了したということもあるほどです。
リモートワークの一番のメリットは、オンとオフの切り替えだと思います。軽井沢は野鳥の森や山、川といった自然がすぐそばにあります。編集の仕事では、原稿にどっぷりむきあってチェックすることが多いのですが、そういうときは脳が切り替わりにくいことがある。そんなとき、ふらっと外に出て、浅間山を眺めたり、野鳥の声を聴いたりしていると、物事を俯瞰してみられるようになる気がします。よくシャワーを浴びているときにアイディアが思い浮かぶなんて言いますよね。その瞬間が日常のあちこちにある感覚です。
ご家族の反応はどうだったのでしょう?奥様の仕事にも変化はありましたか。
妻は軽井沢に来たことで、自分の気持ちに正直に仕事をやっていきたいという想いが強くなったようです。東京で働いていたときは、どうしてもノルマという考えに支配され、目標数字を達成することがプライオリティの上位にありました。それももちろん大切なことなのですが、今はより大きな視点で仕事をとらえ、暮らしのなかに位置付けることができているようです。
それは、ご自身の人生や生活にもきちんと目が向けられるようになったということかもしれませんね。
まさにそうですね。軽井沢に来て、妻が最初に驚いたのは「夜ってこんなに暗いんだ」ということでした。そんな当たり前なことにも気づけないほど、東京はいつも明るく、ネットのコミュニケーションも24時間、常にオンの状態で過ごしていたのです。こちらでは、庭に出れば季節の移ろいを感じますし、一日の気候の変化にもとても敏感になれます。仕事モードをオフに切り替え、自分と向き合う時間をつくりやすい環境があります。
すごい効用ですね。自然ということでは、東京のオフィスに観葉植物を置いたところで同じ効用は得られないような気がします。つまり、軽井沢が紡ぎ出す「環境の良さ」や「人々の暮らしの良質さ」なども、軽井沢の魅力を形成する重要な要素なのでしょうね。
コミュニティに関して言うと、軽井沢に住んでいる人は懐が深いと感じます。町を歩けば、挨拶が交わされますし、カフェに行けばマスターがお客さん同士で会話が生まれるような場づくりをしてくれます。地方は閉鎖的、という話も聴いていましたが、軽井沢は移住者の方も多く、共通点を見つけやすいのもありがたかったです。これまで受け継がれ、育まれてきたコミュニティ文化のおかげなのだと思います。
仕事、教育、生活、すべての面で魅力のある軽井沢ですが、もし課題感や期待感を感じる部分があれば教えてください。
一つ挙げるとすると、「軽井沢の魅力」をほかの地域の人にも知ってもらえるよう、違った視点での情報発信ができたらと感じています。「軽井沢ブランド」はもちろん知らない人はいませんが、メディアを通して伝えられるイメージは、すこし排他的で、土地の魅力が充分に伝わっていないのではないでしょうか。実際に住んでみると、こんなにも人と自然が共生している環境はほかにはなかなかないですし、多層的で懐の深い場所だと気がつきました。
私が感じる一番の魅力は、みんなが周りの目を気にすることなく、「自分の好き」を形にしていることです。それが、良質な暮らしやコミュニティの豊かさに繋がっている。ですので、住む人からみた魅力をそのまま発信できたら、新しいなにかがうまれるのでは?と感じています。
軽井沢の外と中で交流が生まれることで、おもしろいことが始まりそうですね。
実は私自身もやりたいことがあります。軽井沢を「本の街」にしたいんです。移住してまだ間もないですが、少しずつ地域に根ざした活動がしたいという想いが芽生えてきました。文豪が愛した軽井沢の地で、ゆくゆくは書店か出版社をハブに、人同士の出合いが生まれる交流の場をつくれたらいいなと妄想します。木を植えるように本を1冊ずつ届けることで、本がそばにある日常を少しでも増やしていきたいです。
素敵な夢ですね。軽井沢との親和性も高そうです。地域に根差した活動がしたいという想いが芽生えたきっかけは何ですか。
軽井沢で暮らし始めて、家族みんなのQOLが上がりました。その恩恵を受けられているのも、脈々と受け継がれてきた文化があるからこそです。
たとえば、軽井沢駅の改札を出た瞬間、パーッとひらけた山を見るだけで穏やかな気持ちになれます。この大切な自然やそれを取り巻く軽井沢の文化を子供の世代に残していく、というと大げさかもしれませんが、少しでも恩返しがしたいという想いが強くなっています。
軽井沢に移住するにせよ、しないにせよ、本日伺った話の中には「今後の働き方」や「暮らし方」に関するヒントがたくさんありました。
コロナ禍で移住を検討する人が増えていると聞きました。そういった方達にお伝えしたいのは、外から情報を集めるだけでは、リアルな情報は十分に得られないということです。
軽井沢に住むメリットは、言葉にすると「自然が豊か」や「QOLが上がる」という月並みのものになってしまいます。でも実際に体感した変化はもっと大きいものでした。実際に、来て、住んで、感じてみて、初めてわかることがあると思います。私たちも移住する前に、何度かAirbnbを使って1週間の滞在を繰り返し、そこでどう感じるか?を体感しました。内から湧き上がってくる感覚、それが大切だと思います。ぜひ実際に足を運んで、軽井沢の魅力を感じてみてください。
文=伊藤みさき 構成=谷本有香
坂口惣一(さかぐちそういち)
軽井沢と六本木を往復する二拠点編集者。
書籍の編集に携わる。3歳の娘と妻の3人で東京都世田谷区から2020年4月に軽井沢へ子育て移住。平日は新幹線通勤でオフィスに通う。現在、家庭菜園が高じて自然栽培に挑戦すべく畑を探し中。1979年茨城県生まれ。
谷本有香
ロイヤルハウジンググループ 上席執行役員。
証券会社、Bloomberg TVで金融経済アンカーを務めたあと、米国でMBAを取得。その後、日経CNBCキャスター、同社初の女性コメンテーターとして従事。Forbes JAPAN Web編集長。